椎名part
引用元:
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1277745619/
1 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:20:19.74 ID:1zYDmGDP0
椎名枝里は一人、体育倉庫にいた。
足元ではネジまき式の犬のぬいぐるみ達がキャンキャンと吠えている。
用具で埋め尽くされた無機質な空間にゼンマイの音だけが響き渡る。
椎名は、誰もいない体育倉庫で一人、犬の合唱を聞く事が好きだった。
3 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:22:16.90 ID:1zYDmGDP0
「成仏しないか。椎名」
不意に声がした。本来あり得ないその声は音無だった。
至福の時間を邪魔された椎名は不機嫌になる。
「あさはかなり」
5 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:23:52.44 ID:1zYDmGDP0
「まぁそう言うなよ、椎名。俺思うんだ。成仏って悪くないって。知ってるか?ひさ子さん達も成仏したんだ」
「そのつもりはない。出ていけ」
「お前の心残りは知ってるつもりだよ」
「なに……?」
得意げな音無の一言に椎名は眉を吊り上げる。
そんな椎名の様子にも音無は気にすることなく続ける。
6 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:24:31.42 ID:1zYDmGDP0
「救いたいんだろう?救いたかったんだろう?」
「き、貴様は何を言っているっ!」
「まめ太」
「っ!な、なぜそれを」
核心を突かれて、椎名はうろたえる。
気勢を取り戻そうとするが、かなわない。
それほど、音無の言った、その単語は椎名にとって大きな影響力を持っていた。
7 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:24:47.37 ID:1zYDmGDP0
まめ太。
生前、椎名が可愛がっていた犬である。
可愛がっていた、とは言うが飼い犬ではなく、それは偶然見つけた捨て犬だった。
――救いたいんだろう?救いたかったんだろう?
椎名の脳裏に、いまわしい記憶がよみがえった。
8 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:25:32.15 ID:1zYDmGDP0
◆
夏の日差しが暑い。
うねる様な日光が体中にまとわりついた。
それもそのはず。もう夏なのだ。
終業式もおわり、明日から夏休みだ。
椎名は軽い興奮を覚え、そのせいで余計に体温が上がった。
だから高所を避け、低地の河川敷の日陰を通って帰ろう。そう思った。
9 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:26:05.51 ID:1zYDmGDP0
川に沿って歩くとほんの少し体が冷めた気がした。
ふいに日光がさえぎられ、薄暗くなる。
高架橋の下。
不法廃棄の産廃や、ゴミ等が散乱するその場所は
お世辞にも空気が澄んでいるとは思えない。
11 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:28:14.69 ID:1zYDmGDP0
椎名は足早にそこを通り過ぎようとした。
その時、音がする。
自分の靴が地面を叩く音でもなく、ゴミ山が崩れる音でも
頭上の線路を走る電車の音でもない、かすかな音。
見まわすと、その音の主がいた。
それは小さな瞳を潤ませながら、椎名を見つめていた。
12 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:28:39.73 ID:1zYDmGDP0
「こんなところに子犬か」
ダンボールに入れられたそれは、一目でそれと分かる捨て犬ルックでそこにいた。
薄い栗色の毛並みに、小さくて丸こい体。
両方の眼の上だけが、円形の白を形作っており平安時代の公家さんのようで面白かった。
キャン
むくむくとしたそれがもう一度鳴く。
13 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:29:15.18 ID:1zYDmGDP0
思わず椎名は抱き上げる。
子犬は人好きのするそれと同じように、短い尻尾をくるくる回しながら椎名の顔をなめた。
自然に抱く手が優しくなり、ぬくもりを感じるように抱きしめる。
胸の中の子犬はもう一度かわいらしく鳴いた。
これが、椎名とまめ太の出会いだった。
14 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:29:56.28 ID:1zYDmGDP0
それから二人の奇妙な関係が始まった。
椎名の家は、教育的にも経済的にも厳しく
犬を飼うなど許されるはずなかった。
両親を説得するという選択肢もあったが、
高校3年にもなり、現実的な結果と言うものを予測できるようになった椎名は
徒労に身をやつすほど愚かではなかった。
16 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:30:29.37 ID:1zYDmGDP0
だから椎名はまめ太を自宅ではなく、出会った河川敷で飼う事にした。
簡易の小屋をこしらえ、ゴミでカムフラージュしてまめ太を守った。
自宅からは距離的にもそう遠くはなかったし、
エサなどは日課である朝夕のジョギングを利用してどうにかなる、そう思った。
17 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:31:25.07 ID:1zYDmGDP0
実際上手くいった。
あの河川敷に人が通ることなどほとんどない、
来るとすれば深夜に訪れる心ない不法投棄者だけだった。
いつしか、高架橋下は椎名とまめ太の秘密のあいびきの場となっていた。
夏休みの間、椎名は時間のほとんどをまめ太と過ごしていたような気がする。
よく食べるまめ太だが、あまり大きく成長はしなかった。
出会った時と変わらないまめ太を見て椎名は、こんな時間が永遠に続くのかもしれない、
そう思った。
18 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:32:39.94 ID:1zYDmGDP0
運命の日はやって来た。
その日は前日から天気が崩れており、まるで太陽がリストラにあったかのように朝から真っ暗だった。
大雨が世界を叩きつける音を自室で聞きながら椎名は呟いた。
「今日もまめ太とは会えないな」
会えない事を見越して、エサは二日分置いてきた。
19 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:33:37.01 ID:1zYDmGDP0
窓の外をみると、椎名とまめ太を引き裂く悪魔は、飽きる様子もなく哄笑を奏でていた。
テレビを付けて見る。
今日のわんこという可愛らしいナレーションと共に
それに負けないくらい可愛い犬が紹介される朝のコーナーが始まった。
20 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:34:34.77 ID:1zYDmGDP0
皮肉にもその日紹介された犬は、まめ太によく似た感じの小さい丸々した柴犬だった。
不意に愛犬が恋しくなって、毎日楽しみなそのコーナーを見終える事なく椎名はチャンネルを変える。
次に現れたのは気象コーナーだった。
椎名の住んでいる一帯は、過去例をみないほどの豪雨だそうだった。
おかしいとは思っていたが、よもや警報が出る程だとは思わなかった。
途端に愛犬が心配になる。
21 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:34:59.00 ID:1zYDmGDP0
――まさか、川が増水して流されたら
頭は冷たくなり、鼻の穴からへんな風が出る。膝に力が入らない。
とても嫌な予感がした。
そんな椎名の目にさらなる異常な光景が目に入る。
それは出かける父の後ろ姿。
22 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:35:58.84 ID:1zYDmGDP0
「……なぜ出かける?」
仕事用の雨ガッパを着こみ、玄関で長靴を準備している父の姿を見て、椎名は聞いた。
父は市の職員をしており、防災に関する課にいたはずだ。
しかし、その日は休日。公務員たる父が出勤することなどあり得ない。
あるとしたら、完全なイレギュラー。
緊急事態。
23 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:37:07.92 ID:1zYDmGDP0
「ああ、枝里。父さんこれから出かけなきゃならん」
「……今日は休日じゃ」
「いや、それがな。近くの川が氾濫して土嚢を積みに行かなくちゃならなくなった。
それで枝里、っておい!」
静止する父の言葉など、もはや耳に入らなかった。
椎名は靴もはかずに弾かれたように飛び出す。
横なぶりの雨と、向かい風が椎名にとりつく。
「私の邪魔を、するなっ!」
強風を切り裂くかまいたちのように、椎名は走った。
25 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:37:59.04 ID:1zYDmGDP0
信じられない光景だった。
増水と言うレベルでは処理できないほどの川の水が
見なれた場所を変貌させていた。
河川敷は、見る影もなく水没し
川の水はもうじき土手から、溢れ出る、そんな勢いだった。
椎名はまめ太がいたであろう、その場所を必死に探す。
27 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:38:34.11 ID:1zYDmGDP0
視界に突きささる水のせいで、思うように見えない。
耳を澄まして、音を感じる。
濁流の音と、対岸ですでに作業を始めている職員や有志達の怒号しか聞こえなかった。
完全に遅きに失した。
後悔の念が椎名の全神経を支配しかけた、その時。
キャン
聞き覚えのあるあの声。
29 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:41:13.99 ID:1zYDmGDP0
「まめ太っ!そこにいたのか!今行くから待ってて!」
激しい川の流れの中に、見た事のあるダンボールを見つけて椎名は言った。
ダンボールの中に入ったまめ太が浮いていた。
流されきっていなかったのは、おそらく大量の重たいゴミか何かが箱に絡まっていたんだろう。
椎名はふとどきものの投棄者に感謝する。
それでも、いつ転覆するか分からない。
事態は一刻を争う状況だった。
助けなくては。
30 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:41:39.42 ID:1zYDmGDP0
――いける!私ならいける!
椎名は身体能力には絶対的な自信があった。
走りも、体操も、そして水泳も、18年間誰一人として自分より上の者はいなかった。
――泳いで、まめ太をつかまえて戻ってくるだけだっ!
31 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:42:22.57 ID:1zYDmGDP0
川を見る。
プールや海水浴場といった泳ぐための設備ではない
暴力としての水がそこにあった。
一瞬の恐怖が椎名の心に芽生える。
躊躇する椎名に、助けを求める愛犬の声はそれでも届く。
キャンキャン
すり切れそうなか細い声。
無慈悲な鉄砲水に瀕したまめ太が目に入る。
32 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:42:53.62 ID:1zYDmGDP0
「私のせいだ……私が危機管理をしっかりしていれば……
こんなところじゃなくきちんと親を説得して、家で飼ってれば
危険にさらすような事にはならなかった」
唇を噛む。血の味がした。
「絶対に助けるからっ!」
33 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:43:12.24 ID:1zYDmGDP0
椎名は濁流へと身を投げた。
瞬間椎名は己のあさはかさを呪う。
――なんだ、これは……っ!
大いなる自然の前では、人類など無力である。
そんなありきたりな表現を無条件に肯定させる現実はそこにはあった。
34 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:43:47.03 ID:1zYDmGDP0
とめどなく押し寄せる豪流が、
椎名の意思を嘲笑うかのようにまめ太へと近づかせない。
?けどもがけど、遠ざかるばかり。
急速に体温は奪われ、もはや己の命すら危うい。
――もう、届かないか。
諦めかけたその時
35 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:44:21.87 ID:1zYDmGDP0
キャンキャン
キャンキャンキャンキャン
キャンキャンキャンキャンキャンキャン
初めて聞いた、まめ太の悲壮な声。
椎名はもう一度抗った。
流れに、運命に、天の配剤に。
大きく水を掻く。足をばたつかせる。
濁流が口に入り込む。苦い。生臭い。
吐きだしそうな気持を抑えて、椎名は戦った。
少し近づく。
36 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:44:44.46 ID:1zYDmGDP0
――後もう少しっ!
筋肉が悲鳴をあげる。
骨がきしむ。
息が苦しい。
37 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:45:20.25 ID:1zYDmGDP0
刹那の感情に挫けそうになる椎名は
ただ、自分を求める声だけをめがけて泳いだ。
指が箱に届く。
「今……助けるからね」
その手は確かに、かけがえのないものを掴んだ。
――絶対に助けるからっ!
その瞬間。
椎名は意識を失った。
39 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:46:10.11 ID:1zYDmGDP0
◆
キャン
「……え?」
忘却旅行の彼方から椎名を連れ帰ったのは、手にした犬のおもちゃの声だった。
気付くと膝を落とし、涙を流していた。
目の前では音無が黙って椎名を見つめている。
「気がかりなんだな」
音無が聞いた。
「……私は、あさはかだった。己を過信して、まめ太を救うつもりが
結果自分が命を落とした。私は、救えなかったんだっ!」
苦しいものを精一杯喉から絞り出しながら椎名が言った。
40 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:47:24.20 ID:1zYDmGDP0
「それはそうだろう。心残りだろうさ。残された犬がその後どうなったのか」
「そうだ!だが、もはや知る術もない。私の思いは永遠にこの世界にくぎ付けなんだ!
成仏?ああ、したいさ!私だってまめ太がどうなったのか……私のせいで死なせてしまったのか、
それとも他の誰かが助けてくれたのか知りたいさ!でもできない。私には分からない。
だから成仏なんて出来ないんだよ!」
「だったら、俺がお前と共にまめ太の魂も救ってやる」
「え?」
ふざけた様子ではなく、きわめて真剣な表情と声で音無が言った。
41 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:48:00.10 ID:1zYDmGDP0
「直井。お前の力が必要だ、手を貸してくれ」
音無が体育倉庫の外に向かって呼ばわる。
そして一人の少年が顔を出した。
「手を貸してくれ、だなんて音無さん。手を貸せ、でいいんですよ。命令してくださればいいんです」
中性的な面立ちをした直井は、学生帽の鍔に手をやりながら言った。
その直井が、床に転がった犬のぬいぐるみの一つを拾う。
そしてそれを徐に椎名の目の前に突きつけた。
42 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:48:42.85 ID:1zYDmGDP0
「いいか?今から神であるこの僕が、貴様の犬の魂を呼び出してやろう
ほら、よく見ろ。これが、お前の愛した犬なんだろう?」
犬の向こうからのぞく、直井の目が怪しく光る。
「ま、まめ太……?」
「そう、まめ太だ。彼はお前にお礼を言いたくて待っているぞ」
脱力する椎名に、直井は囁きかけた。
そして椎名はまどろみの中に落ちて行った。
43 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:49:38.90 ID:1zYDmGDP0
◆
世界は白かった。
霧なのか霞なのか、上も下も前も後ろも分からない不思議で真っ白い場所で椎名は立ちつくしていた。
キャン
「え?」
懐かしいあの声。
もう聞きたくても聞けない、あの声がどこからかした。
44 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:50:08.24 ID:1zYDmGDP0
キャン
もう一度聞こえた。今度は分かった。
足元だった。足元にまめ太がいた。
「ま、まめ太!」
抱きしめながら椎名は言った。
胸の中のまめ太があの日のように鳴き声を出した。
目頭が熱くなる。
とめどなくあふれる涙でくしゃくしゃになりながら、椎名は
愛犬の名前を叫んだ。
45 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:50:35.24 ID:1zYDmGDP0
キャン
――エリちゃん
「え?」
それは不思議な感覚だった。
まめ太の鳴き声にかぶさるように、頭の中で別の声が響く。
初めて聞くその声なのに、なぜか、それがまめ太のものだと解る。
そんな感覚だった。
46 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:51:30.62 ID:1zYDmGDP0
――エリちゃん
まめ太が言った。
「まめ太がしゃべっているの?」
――うん。今だけ特別だから。
話せる。まめ太と話せる。
そう理解すると、椎名の頭の中は言葉で一杯になった。
だが、こんな世界にいるという事はやはりまめ太が死んだのだと悟り、途端に声が詰まる。
47 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:52:14.65 ID:1zYDmGDP0
「ごめん。ごめんね。私のせいでまめ太は……」
――違うよ。エリちゃん。
「え?」
――僕はお礼を言いに来たんだ。
「お礼?でも、私のせいでまめ太は」
――エリちゃんのせいなんかじゃないよ
「違う!私のせいなんだ。私の判断が甘かったせいで、まめ太を、あなたを……殺……してしまったの」
殺しての部分だけが弱弱しくこぼれ出た。
己の招いた結果を受け止められない自分が情けなくて、また涙がでた。
そんな椎名をまめ太が優しく慰める。
48 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:52:49.48 ID:1zYDmGDP0
――エリちゃん。泣かないで。僕は大丈夫だよ。エリちゃんのおかげで僕、助かったんだから。
「え?」
――聞いてエリちゃん。僕は助かったんだよ。エリちゃんが飛び込んで必死に泳いでくれるその姿を
他の人が当然見つけてくれてたんだ。そんなエリちゃんを救うためにレスキュー隊が来た。
僕は偶然彼らに見つけてもらって、助かったんだ。それは身を呈して飛びこんでくれた君のおかげなんだ。
「まめ太は、助……かったの」
――僕が死んだのは、単なる寿命だよ。僕はそれだけ長い時間、エリちゃんを苦しめてたんだね。
椎名の涙がまた勢いを増す。
しかし、それは先ほどまでのそれとは意味が異なるものだった。
49 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:53:46.62 ID:1zYDmGDP0
――僕がどうして、ここにいるか分かるかい?
まめ太が寂しそうに言う。
――それはねエリちゃんと同じように。僕も成仏できなかったんだ。
だって僕の為にエリちゃんが命を落としちゃったから……
「まめ太……」
――君が僕を気にしていたように、僕も君を気に病んでいた。
僕の望みは最後に、エリちゃんにお礼を言う事。
まめ太の体を淡い光が包む。
51 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:55:31.86 ID:1zYDmGDP0
直感それが成仏だと気付き、叫ぶ。
「ま、まめ太。だめだ!逝かないで!消えないでくれ!また私を一人にしないで」
――僕、また生まれ変わったら、エリちゃんに会いたい。君のそばにいたい。
「嫌だ!まめ太ーーーー!」
椎名は消えて行くその体を抱き寄せようとするがかなわない。
まめ太の体は風景に同化する一方で、すりぬけて掴めない。
52 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:56:40.69 ID:1zYDmGDP0
――エリちゃん。ありがとう。僕楽しかったよ。僕うれしかったよ。
――ご飯をくれてありがとう。遊んでくれてありがとう。
――愛をくれてありがとう。
「ぃ、ゃぁ」
――僕に、命をくれてありがとう。
木漏れ日のような光の残滓を残しながら、彼は消えて行った。
やがて、残された椎名の体も光に包まれる。
53 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:57:23.23 ID:1zYDmGDP0
「そうか、まめ太、助かったんだ」
ふぅ。と穏やかなため息をつく。
これほど心が安らいだ瞬間はない。
椎名は呟く。
「私、あの子を助けられたんだ」
まめ太を抱きしめた感触をたどりながら、椎名枝里も光の中に消えて行った。
54 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:58:11.28 ID:1zYDmGDP0
「これで良かったんですか?音無さん」
聞いた事のない涙声で直井がうかがう。
その足元には、椎名が抱きしめていた犬のぬいぐるみが転がっていた。
限界までゼンマイを巻くとかなりの長くの間鳴くそれは、持ち主が去った後も音を奏でていた。
音無は彼女の涙で濡れそぼったぬいぐるみを拾い上げる。
キャン
音無の手の中で犬が吠えた。
55 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 02:58:38.91 ID:1zYDmGDP0
「嘘も方便。日向ならそう言うだろうさ」
「あんな愚民と一緒にしないで下さいよ、音無さん」
ごちる直井を無視して、音無は体育倉庫の外に出た。
薄暗い部屋にしばらくいたせいで、昼の陽光がいやがらせのように目をくすぐった。涙が出る。
音無は、その陽に椎名の忘れ形見をかざす。
56 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 03:00:03.78 ID:1zYDmGDP0
「椎名。卒業おめでとう」
今はもういない友の顔を思い出しながら音無は言った。
音無が思い描いた彼女の顔には、なぜか、自分の手の中にある、ぬいぐるみに良く似た犬が頬ずりしていた。
何度作りなおしても、生まれてくるそのイメージに、音無はそれが椎名の新たな生の希望の象徴に思えてならなかった。
「もう離すんじゃないぜ。椎名」
57 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 03:00:22.14 ID:1zYDmGDP0
日差しが強い。
そう言えばこの世界にも四季というものはあるのだろうか?
あるとしたら今は夏休みくらいだろう。
「暑くなってきたな」
「え?あ、はい。今が一番陽の高い時間ですから」
58 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 03:00:47.24 ID:1zYDmGDP0
涼みたい。不意にそう思った。
「河川敷にでもいかないか?涼みたいんだ」
手の中のぬいぐるみはまだ止まらない。
ジコジコと言うゼンマイ音、それに合わせて鳴く犬の声が妙に心地よかった。
59 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/06/29(火) 03:01:46.25 ID:1zYDmGDP0
「は?河川敷ですか?それならば鉄橋下がお勧めです。
あそこはあまり人もきませんし、そもそも校則で立ち入り禁止ですし。
あ、いや音無さんは特例で当然大丈夫なんですが。
でも、人の立ち入りがないせいで、ゴミを放置していく痴れ者が最近出没していまして
音無さんのご気分を害するかもしれません。僕としては」
「まぁそう言うなって」
「は」
「ゴミの中にも意外な宝物があるかもしれない」
キャン。と音無の手の中で鳴き声一つ。
―椎名さんの卒業式 おしまい